玉子とトマトとバジルとチャイブのサンドイッチ/田舎亭のカレー肉うどん、ゆで玉子、万願寺と馬鈴薯の炒めもの/秋刀魚の塩焼き、大根と玉葱と豆芽の味噌汁、ご飯
一部に根強いファンのいるさだまさし。彼の歌に「関白宣言」というのがあります。題名が示すように全編にわたって「なんだかなぁ〜」な歌詞なのですが、こういう一節があります。
めしはうまくつくれ。
いつもきれいでいろ。
できる範囲で
かまわないから。
はぁ...。文句はいろいろありますが、とりあえずなぜ「女性はきれいでいなければいけない」のでしょう。
そもそも女性に美しさを求めているのってほとんど男性なんですよね。そしてその美しさのために女性は化粧をしていますよね。でも化粧品って高価だし、体に悪いものだって多いと言われています。しかも、独断と偏見ですが、女性に美しさを求める男性ほど「美しくない」人が多いように思います (含:さだまさし)。そんな風に自分にないものを人に求めて、しかも金銭的身体的負担を強いているのってやっぱりどこかおかしいと思いませんか。
断言しますが、女性の方が男性よりも美しいのです。でもそれは「女性は美しい」からではありません。「美しさという価値観が女性寄りに設定されている」からなのです*1。そういう価値観を作り上げておきながら、しかもそれに則ることをさらに強いていく、というエンドレスな構造が見え隠れします。
「男性も美しくなりなさい」という風潮になれば、「美しさ」という価値観はもっと多様なものになるでしょう。大げさなことを言えば、そうなって初めて人類は「美しさ」というを価値観を持つことができるのではないでしょうか。
*1 男性である私としてはそれがちょっとくやしい。
『関白宣言』
昭和54年の、ついに社会現象になってしまったこの歌。
女性蔑視論に始まって、軟弱男のつぶやき論に至るまで、
音楽と異なる次元での評価に終始しました。
どうして、この歌が音楽以外の場所で、叩かれ、
或いは讃えられたのかは、詞を読めばすぐ分かります。
歌の運命として持っている社会性に、きっと富んでいたのでしょう。
お前を嫁にもらう前に
言っておきたいことがある
…
俺より先に寝てはいけない
俺より後に起きてもいけない
めしは上手く作れ
いつもきれいでいろ
できる範囲で 構わないから
洒落が洒落でなくなる時は、
本気が本気で通用しなくなるときでもあります。
洒落と本音と皮肉と自嘲が複雑に絡み合ってひとつの歌になる。
「あなたは、プロポーズする際に、歌詞のとおりに言うのですか?」と同じ質問を幾度されたことでしょう。
「歌だから言葉にせざるを得ないことです。実際には、口が裂けても言いません。」
「これで女性蔑視とは、大和撫子の質も落ちたものです。」
「黙っていても、この程度のこと、当たり前だと思っている女を嫁にします。」
と、ぼくは答えました。
ただ、ひたすら、これを歌として受け止めてくれた
95%の人々に感謝します。
以上
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/1883/sada.html
より引用。
歌として理解できなければ、
そうですねえ、せめて
物語の一節として理解できませんか?
釣瓶の家族に乾杯〔5月3日NHK}で、関白宣言を聞いて泣けました。以前女性蔑視かと思っていたけど、あれは女性賛歌の歌ですよ。
あんたあほやね。いまだにコンナコト言うてる人がいてるとは思わへんかった。
男性は自分の美しさよりも
能力の優劣を気にする人の方が多いですよ
特に社会にでればその比率は大きくなると思いますけど。