まつもとさんが会社に持ってきてくれた Linux Magazine 2004 年 12 月号を読みました。今月号の「探訪 Ruby」のお題は「Web アプリケーションフレームワーク」で、CGIKit が例にとりあげられています。
前回と今回の記事は、調査を手伝った関係で事前に査読させてもらったので、誰よりも早く「探訪 Ruby」の原稿を読めるという美味しい思いをしました。ふふふ。
今日は前田さんが講師で、メソッド、クラス、モジュール、例外処理あたりの講習でした。
それにしても、前田さんのプレゼンはテンポが良くて見ていてとても楽しい。何といっても、照れくさそうに (でもちゃっかり) ネタをかますところが素敵ですね。勉強になります。
まだあまり考えがまとまっていないけれど、最近の ruby-list ML を眺めていると、いろいろ考えさせられます。誰が言ったかどうかとかは別にどうでもいいのですが、特に印象的な部分を引用します。
> リリース間隔が長いのは、リリースエンジニアリングが面倒だから > です。私にとっては今の間隔でも相当しんどいです。でも、代わっ > てやってくれる人がいるわけでもないし。 まつもとさんにしか出来ないことではないんですよね? リリースエンジニアリングの作業は手順書とかドキュメントがあれば まつもとさん以外でも出来るのでは? リリース手順の文書化を希望します。
あくまでも私見ですが、手順書とかドキュメントがあれば誰でも出来るわけではないからこそ面倒なのだと思います。多くの人が関わって動いているプロジェクトですし、エンジニアリングとは言ってもやはり一番大切なのは、人の気持ちであり、人と人のつながりでしょう。そういうお互いの理解や共感がなければどんなに優れた能力でも活かされないし、優れた能力ならなおさら活かされないと本当にもったいない。
これは ruby に限らず私の日々の仕事でも同じことですし、エンジニアリングと言う言葉に惑わされてはいけない、そういつも自分に言い聞かせています。
[仕事] Ruby 講習会初級コース後半 2 日目
かずひこさんには褒めていただいたが、やっぱり初心者の方に話すのは難しいですね。ついつい、いらないことを言ってしまう。
ちなみに「勉強になります」はNaCl用語で、褒める言葉に詰まった時に使います。
「誰でも出来るわけではない」が「まつもとさん以外の人でも出来る」んですよね?
なら、他の人に出来る限り任せたら?って思うんですけど。
どうしてもまつもとさんがリリースエンジニアリングの全ての作業をしたいというならしかたないですけど。
まつもとさんがやりたいかどうかではなく、そういう提案に人の理解や共感が伴わないとうまくいきませんよね、というお話なのです。
まつもとさんが「他の人はやってくれない」と自分で抱え込んでいるのが問題なのかな。
「誰かやってくれない?」って聞いてくれれば、手を挙げる人がいるかもしれないのに。
まつもとさんにはRuby2.0に注力してもらいたいです。
私はRuby以外の事に注力したいのですが、それにはRuby言語が必要なのでしかたなく今回のような改善要求をしています。
ですから、そういう問題じゃないでしょうというお話なのですが、わかってもらえませんか?