双月さんのところで「医者も人の子。」という記事を読みました。
「○○も人の子」という表現を見るたびに、何かすごい人であることを強制されているような気がするのですが、まずは自分のことを「私は人の子です (きっぱり)」と開きなおれば、気持ちが軽くなるんじゃないのかなぁ。
というわけで、私はとっても人の子ですので、どぞよろしく。
えーと、教育費と交際費はケチっちゃだめよん第二弾です。
当初、松江から Skype と VNC あたりを使って遠隔プレゼンするつもりで、それに向けていろんな方の手を煩わせていたのですが、やっぱりせっかくの機会なのでみなさんと直接お会いしたく、東京まで行くことにしました。
というわけで、遠隔プレゼンではなく遠隔一般参加できる方法を現在検討中です。今のところ、ffmpeg で会場の音声と映像をストリーミング配信しつつ、遠隔からの質問などは Skype コールや IRC で随時受け付けるという感じを考えています。
めちゃくちゃたくさんの人が接続するのは無理ですが、かといって誰も遠隔参加なしというのも寂しいので、興味のある方はぜひどうぞ。
といっても、当日の会場からの配信実験がまだなので、本当にできるかどうかわからないんだけど、うまくいくといいなぁ。
ご存じかどうか分かりませんがクリスチャン的には「人の子」は結構重大な意味を持ってたりします。
人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はそ
の栄光の座につくであろう。
マタイ 25:31
要するにイエス・キリストの称号のひとつだったりします。以上、トリビアでした。
へぇへぇへぇ。初耳でした。ちなみに King James Bible ではこんな感じ。'When the Son of man shall come in his glory, and all the holy angels with him, then shall he sit upon the throne of his glory.' Man じゃなくて Son だけを大文字にするのね。
> 私はとっても人の子です
え? 嘘!
# とかいう
↑そんなぁ (T T)
# 何の子だと思われているんだろう?
きのこの子だと思ってました。
イエスはメシアに関する預言を意識していた
(Matthew 24:30 で Daniel 7:13 に直接言及してたりする) のでしょうが、
かずひこさんのように謙譲の表現で使っていたのだとも思います。
神の子としての権威を持っていながら、人間を苦しみから救うために
あえて仲間として人の子にもなったという意味で、
人類への親しみを込めて自分を「人の子」と呼んでいたのでしょう。
だから man は特定の人ではない (Joseph でも David でもない) ので
小文字なのだと思います。原語の意味についてはこちらなど:
http://www.blueletterbible.org/cgi-bin/words.pl?book=Mat&chapter=25&verse=31&strongs=444&page=1
とすると、「神の子として恐れ畏まなくても良いぞ」という気持ちは
かずひこさんもキリストも同じだったということで、適切な表現でしたね♪
# かずひこさんのご活躍を拝見すると、「ほんとに人間かな〜」と思うことはありますけど。